蒼い海に溺れて2nd season

なんとなく作ってみたけど、しばらく様子見

雲仙岳の犠牲者に思う

雲仙普賢岳の噴火から22年。1991年の噴火の際、危険区域内に入った報道関係者とその巻き添えとなった人を中心に43人が大火砕流に飲み込まれて亡くなった。近年、死亡したカメラマンが大火砕流の直前まで撮影していた映像が復元され、亡くなった方々の行動がある程度分かっている。「何の音?ヤバイな」と言う言葉の直後に火砕流に襲われたと見られているらしい。最期に逃げ出したかどうかは分からないが、危険を察知したときには既に手遅れであった、ということなのだろう。


ニコニコ動画のコメントでもマスゴミって叩いてる。スクープ狙いで危険区域内に入った上、民家へ侵入して電源を無断拝借するような行為は許されたもんじゃない。報道関係者にチャーターされたタクシー運転手、報道関係者を避難させようとして道連れとなってしまった警察官と地元の消防団員は結果的に死ななくていい場所で死ぬこととなってしまい、さぞ無念であったことと思う。


ただ、ここで思うのは当時の世間の見方。ここで報道陣が避難していたとき、人々はそれを納得していたのだろうか。当時は危険区域ギリギリまで行って撮影するのが当たり前だったのだろうと思われる。一社ではなく、複数社が入っているということは危険を冒してでもスクープを撮影するのは当時の常識だったのではないかね。災害の拡大を防ぐため、選挙ポスター撤去の目的で危険区域に立ち位置亡くなった人もいる。危ないって言って現場に立ち入らなかったら、何でもっと近づかないのかと世間の一部は非難したのかもしれない。


この犠牲があったから危険区域内での取材を行う危険性が徐々に認識されるようになったと思う。人は失敗しないと学ばない。そして犠牲を出して初めてやり方を見直す。死ななくていい人が死ぬと言う悲劇は、形を変えて何時までも繰り返されていると思う。ある意味では、亡くなった報道関係者も気の毒な最期であったかもしれない。


所詮は憶測であり、認識として間違ってるかもしれない。しかし当時は危険認識が甘かったから、今の常識ではあり得ない行動が多々あったことだろうと思っている。